小豆島元気って何?

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瀬戸内と小豆島の魅力

瀬戸内海に浮かぶ小豆島で
心も身体も元気になりましょう!

多島美の瀬戸内海国立公園

日本で最初に国立公園に指定された「瀬戸内海」の魅力。それはなんといっても、大小1,000あまりの島々が織りなす多島美です。多島海景観で海山いずれからの景色も美しく風光明媚。気候は温暖で雨が少ない瀬戸内海式気候です。
古くから畿内と九州方面を結ぶ航路として栄え、大陸との交流や物流の大動脈としての役割を果たしてきました。行き来する船は、港や島々に立ち寄り「人」や「技術」「文化」「芸能」などをもたらしました。
江戸~明治時代にかけて、多数の著名な欧米人により、その景観の美しさが世界中に紹介されてきた瀬戸内海。美しい景観と、そこに暮らす人々が展開する生活や営みは、今なお訪れる人々に感動と癒しを与えてくれます。

21世紀は物質的な豊かさから「心の豊かさ」を重視する時代に向かっています。
瀬戸内海の豊かな自然や歴史や文化や産業を「五感」で体感することにより心も身体も元気になりましょう。

小豆島の魅力!

小豆島の魅力!

小豆島は、瀬戸内海国立公園の東部播磨灘に位置し、瀬戸内海では二番目に大きな島です。古事記にも「島産み」としてその誕生が記されており、島には豊かな自然や歴史や文化や産業などさまざまな魅力が息づいています。

島の自然と文化

「穏やかに煌めく海」

小豆島の魅力は何と言っても、身近に「海」が見える景色の素晴らしさです。
日常の中に常に海があり、街中から数分車を走らせれば海に出会い、また山に登ると北は本州、南は四国さぬきの山々を背景に素晴らしい海の眺望が開けます。
天気の良い日の南向きに観る海の青さは、空の碧さと山の緑と一体になってそれは何物にも代えられない美しさです。

穏やかに煌めく海

二十四の瞳・岬の分教場

小説「二十四の瞳」は昭和27年に郷土の作家壷井栄によって発表され、昭和29年に 監督:木下恵介・主演:高峰秀子で映画化された「二十四の瞳」は大ヒットして、日本映画の名作として日本映画史に輝き続けています。
映画の舞台となった岬の分教場は、小豆島東部の田浦半島にあり、昭和46年まで苗羽小学校田浦分校として地元の子供達が学んでいました。現在も閉校された当時のまま保存され、多くの人が見学に訪れて昭和の時代を懐かしむとともに、二十四の瞳の平和の尊さのメッセージを静かに伝え続けています。

二十四の瞳・岬の分教場

名勝「寒霞渓」

島の北部に位置し、花崗岩に千三百万年前の火山活動で噴出した安山岩や集積による集塊岩で構成され、永い歳月の中で大きな自然の影響をうけた奇岩がいたるところにみられ、岩肌が水墨画の趣を呈する美しさで訪れる人の目を引きつけます。また山々は四季折々の木々や草花が彩りを変え、春の新緑、夏は深緑に、秋は紅葉の絨毯が渓谷を埋め尽くし、冬は深く静かに時に雪化粧をほどこします。

また山頂まではロープウェイがありますが、表12景・裏8景の遊歩道が整備されており、寒霞渓山頂からは瀬戸内海最高峰の星ヶ城山(817m)へ続く山道が伸びており、瀬戸内の海や島々が眺望できます。

名勝「寒霞渓」

日本の原風景 里山の棚田「中山の千枚田」

小豆島の中央部の里山にある中山地区には、日本棚田百選に選ばれた千枚田と呼ばれる棚田が静かに広がり、湯舟山からは一年を通じて名水百選に選ばれた豊かな水が、棚田の水路を心地よい音を奏でながら流れています。
春の田植えシーズンから夏の青々とした棚田、秋には大きく見事に育ち黄金色に輝く稲穂。そして、収穫と五穀豊穣を感謝して里人により奉納される江戸時代から続く農村歌舞伎。やがて冬を迎えてひっそりと静まり返った棚田。その里山の自然と一体化した生活と営みの中に日本の原風景を観ることができます。

日本の原風景 里山の棚田「中山の千枚田」

農村歌舞伎舞台

山間の「肥土山地区」と「中山地区」には、江戸時代から継承されてきた農村歌舞伎を上演する、趣のある茅葺屋根の農村歌舞伎舞台があります。いずれも国の重要有形民俗文化財に指定されており、肥土山農村歌舞伎は、毎年5月3日に肥土山離宮八幡神社において地域の住民によって上演されています。

また中山農村歌舞伎は、毎年10月上旬に春日神社への奉納行事として地域の住民によって上演されています。

300年以上の歴史がある小豆島の農村歌舞伎ですが、幕末から昭和初期にかけて島内には30を超える舞台と600~700人の役者がいたといわれており、今では肥土山地区と中山地区の2ヶ所だけになりましたが、この農村歌舞伎に瀬戸内海圏における海を通じての文化芸能の広まりと島の豊かな経済力を偲ぶことができます。

農村歌舞伎舞台

小豆島八十八ヶ所霊場

小豆島には四国霊場八十八ヶ所のミニ版といえる八十八ヶ所の霊場があります。

小豆島八十八ヶ所霊場は、弘法大師が京と讃岐を行き来する途中にたびたび島に立ち寄られ、島の山野を歩き御修行御祈念を積んだ御霊跡であると伝えられ、このことを基に後世に小豆島八十八ヶ所が開設され、大師の島として信仰を深めていきました。

小豆島霊場の特徴は山岳霊場にあり、瀬戸内海最高峰の星ヶ城をはじめとして大小の岳が連なり、奇岩絶壁に富み、多くの洞窟があり、佛教伝来とともに山岳信仰が広まりました。そこからの眺望は瀬戸内海や島の海山を遠くまで見渡せ、四季折々に変化する景色が訪れる者の心を癒します。

第二番碁石山

ご本尊は波切り不動明王で海難除けの守り本尊です。ここからの眺めは寒霞渓の山々や前方に田浦半島や瀬戸内海、そして眼下に醤の郷の醤油蔵の街並みが見渡せる絶景の場所にあります。

小豆島八十八ヶ所霊場

第八番常光寺

ご本尊は薬師如来。島の特産品である醤油づくりが盛んな苗羽地区にある大きなお寺です。境内には早咲きでここにしかない有名な「ジョウコウジザクラ」をはじめとする多数の桜が植えられ、春には桜の花が境内を彩り、訪れる人を楽しませます。

第四十二番西の滝

御本尊は十一面観世音菩薩。島の中央部池田の大麻山の嶮崖にあり、慈眼院瀧水寺と称し、龍神にまつわる話が伝えられています。境内からは前方に三都半島や瀬戸内の海がすばらしい景色が広がっています。

島の産業

400年の歴史と伝統!島の醤油づくり

小豆島に醤油が伝えられたのは、今から400年以上前の文禄年間(1592~1595年)。太閤秀吉の大阪城築城のため、島の石材を切り出しにきた諸藩の石切り奉行が、島に持ち込んだのが最初だといわれています。醤油のおいしさを知った島の人が、醤油発祥の地・紀州の湯浅(現在の和歌山県有田郡湯浅町)で製造技術を学び伝え、小豆島の醤油づくりが始まったそうです。

島で醤油づくりが盛んになった理由のひとつは、醤油の原料である塩づくりが古代から行われていたこと。天正年間(1572~1592年)には島に播州赤穂から塩浜師の一団が移り住み、最盛期には赤穂に次ぐ塩の産地として島塩といわれる良質の塩が生産されていました。

また、瀬戸内海東部に位置し、京・大阪という大消費地にも近く、海運業が発達していたこと。九州との交流も活発で、島への原料の小麦・大豆の供給も比較的容易であったこと。瀬戸内海性気候の温暖で少雨という気候風土が醤油を作る上で、麹菌の発育や諸味の熟成に適していたことなども幸いしました。明治20年代の最盛期には島内に400軒の醤油醸造所がありました。

明治40年(1907)に、丸金醤油株式会社が設立されると、組合設立による研究開発や企業の合併や生産設備の近代化などが進められ、島の産業の基盤が確立されていきました。

明治、大正、昭和の時代を経て現在は20軒ほどに集約された小豆島の醤油産業。島という立地にありながらも、千葉県の野田・銚子、兵庫県の龍野とともに「全国醤油の四大産地」としての地位を保ち続けています。

400年の歴史と伝統!島の醤油づくり

「醤の郷(ひしおのさと)」

近代化産業遺産のある街を歩く!観る!

★日本最大級の醤油蔵 … マルキン忠勇醤油蔵

小豆島には、国の近代化産業遺産に認定された日本最大級の醤油蔵群があります。

近代化産業遺産とは、幕末から昭和初期にかけて日本の産業の近代化を支え、今日の「モノ づくり大国・日本」の礎を築いた地域に残る歴史的にも価値がある建造物、機械、文章等を対象に経済産業省が認定しているものです。

瀬戸内海沿岸の気候風土に育まれた製塩業・醸造業の近代化の歩みを物語る近代化産業遺産

小豆島の東部は醤油の一大産地で、平成20年2月日本の醤油メーカー五指の一つ「マルキン忠勇株式会社(旧丸金醤油株式会社)」の工場や記念館の他、左海醤油工業株式会社・ヤマサン醤油株式会社・金大醤油株式会社・正金醤油株式会社の5つの会社の建造物が近代化産業遺産に認定されました。

その中でもマルキン忠勇の醤油蔵は日本最大級の規模を誇り、県道沿いの通りを中心に醤油独特の菌の影響で、瓦屋根や漆喰の壁、さらにブロック塀までが真っ黒に変化して、一種独特の雰囲気を醸し出し、訪れる人達に醤油の香りとしっとりとした雰囲気をあたえてくれます。

マルキン忠勇株式会社
小豆島の産業を代表するマルキン忠勇株式会社は、明治40年(1907年)、品質に優れていた関東の醤油に並ぶ高い品質の醤油の生産と販売を目的に、初代社長の木下忠次郎氏が中心となり小豆島の数社の醤油会社が一緒になって丸金醤油株式会社として、株主164名、資本金30万円で設立されました。

そして、その後も小豆島醤油の地位を高めるため地域内での合併や統合を進めながら拡大発展し、小豆島の産業の柱として2000年に忠勇株式会社と合併して現在のマルキン忠勇株式会社となりました。

創業から100年以上を経たマルキン忠勇は、小豆島において培ってきた伝統の製法を守り、品質の高い醤油づくりに取り組み続けており、業界における大手5社の一つに数えられ、日本最大の醤油蔵に象徴されるように、小豆島の産業のシンボルとして地域に貢献し続けています。

日本最大級の醤油蔵 … マルキン忠勇醤油蔵

醤の郷(ひしおのさと)

醤油のルーツは古代中国に伝わる「醤(ジャン)」であるといわれており、発酵調味料「醤(ひしお)」は、魚、獣肉、大豆などに麹と塩を加えて熟成、発酵させた塩辛風のもので、奈良時代には庶民の間にも普及していたようです。

醤油の原型は穀醤(こくびしお)で、米、小麦、大豆などが用いられましたが、日本では大豆の醤が発達し、味噌と醤油へと変化しました。

鎌倉時代(1254年)、信州の禅僧・覚心が中国から持ち帰った径山寺(きんざんじ)味噌の製法から味噌づくりが始まり、紀州・湯浅の村人にその製法を教えているうちに、この醤から滲み出す汁がおいしいと気付き、今でいう「たまりしょうゆ」になったといわれています。

私達は、島の東部のマルキン忠勇醤油蔵群を中心に醤油や佃煮工場が軒を連ねるこの地域を「醤の郷」と呼び、島醤油の品質の向上と販路拡大に尽力した先人の志しを引き継ぎ、島の貴重な財産でもある醤油蔵の街並みの保存と活用に取り組んでいます。

醤の郷では島を訪れた多くの人が、醤油の香り漂う趣のある醤油蔵通りをのんびりと楽しみながら散策しています。

醤の郷(ひしおのさと)

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